学校の裏山

私の実家では「うらやましい」という言葉を使わない。

羨むという感情はあまり良いものではないね、という話をきっかけに、どうしてもそう思ってしまうときは「学校の裏山」という表現を使うことにしたからだ。

「えー、いいなー、うらやましいー」

と言いたいときは

「学校の裏山だわ( ´ ▽ ` )」

このように変換する。

まるで暗号のようなこの表現、家族内で未だに使っているのも私くらいなのだが。

 

ところで最近の私は、この「学校の裏山」感情を抱くことが多かった。

 

大勢の前で高く評価された友人。

前のめりでどんどん輝いていくあの人。

容姿、能力、友人、家庭環境すべてに恵まれた王道のアニメヒロイン。

センスの塊なお洒落インフルエンサー

 

会う人、見る人、みんなに対して、なんだかちょっと複雑な気持ちを感じていた。

「ああ、学校の裏山...」

 

頑張ろうと思ったお仕事は色々苦しくて続けられなかった。

それから1ヶ月が過ぎたが、この時間を有意義に過ごしたと胸を張って言うこともできない。働いていた間は手をつけられなかった掃除を少しやったくらいで、納得のいく時間の使い方はできなかった。

何かを頑張りたいけど、何ができるのかわからない。何をすべきかもわからない。

好きなことはいくつかあるけれど、昼夜を問わず夢中になれるほどのモノが今の私にはない。

不完全燃焼な毎日。

 

裏山の頂上にいると、どんどん視野が狭くなる。

見下ろせば色んな世界が広がっているのに、それが見えなくなってしまう。

誰かがキラキラしてるのを見て見ぬふりして、今の自分を正当化しようとする。

 

 

だけど、それもそろそろ飽きてきた。

 

勇気を出して山を降りる。降りた先で何かをしてみる。

それが気に入ればずっと居続けることもできるし、もし合わなかったら山に戻ってくることもできる。そう、案ずるより産むが易しだ。

 

焦らなくていい、という気持ちを最近強く感じている。

ただそれは、何もしなくていい、という意味ではないなとも思っている。

 

何がしたいのか、何ができるのか、何をすべきなのか。全ての答えが山の霧で覆われてしまっている今。視界不良で自分がどこにいるのかがわからない。もしかすると、いつの間にか麓に近いところまで降りてきていたりして。

 

頂上で誰かを、何かを羨む生活が心地よい時もある。

だけど、そこから出て何かに取り組む方が、今日の私には合っていそうな気がする。