新生活もぼちぼち落ち着いてきた最近。
環境が変わったし、新しい趣味を探す意味も込めて図書館に行ってみた。以前と違い、徒歩で行ける距離にあるのはありがたい。
ただ近所にあるのは分館で、置いてある本は圧倒的に少なく、ジャンルも限られている。ちょっとだけ残念。
とりあえず数冊借りてきてみたものの、まあそんなに続かないかもなというのが正直なところだった。
そしてまた別の日。
今度は本屋さんに行った。特に買いたいものがあるわけではなかったのだけれど、せっかく都会に出て来たので大きい本屋さんを覗いてみようかなと。
するとこちらでは、気になるタイトルを何個も発見することができた。それも1つの棚に複数個。一歩進むたびに、面白そうとか興味あるかもと思う単語が並んでいて、すごくワクワクした。
図書館と本屋。同じ本を扱っている場所なのにどうしてこんなに違うのだろう。
例えば料理本についても、図書館のものより本屋さんの商品の方が私にはキラキラして見えたし、手に取りたくなる雰囲気があった。
売り物だから、そういう陳列がされてるから、というのはもちろんあるだろうけど、図書館の本だってかつては同じように書店で売られていた立派な商品。本としての価値は変わらないはず。
にも関わらずこんなに違いがあるのは、タイトルの力が大きいのではないかと思った。
本屋さんに並んでいるのは、今を反映したタイトルたち。今、この時に生きている人々に向けられた言葉たち。
でも図書館にあるのは、当時の顧客に向けられた言葉たち。
だから、今、現代の私の心にはあまり引っかからなかったのではないか。そんなことを考えた。
またそれと同時に、私は今の人なんだなという驚きも感じた。
子ども時代、誰しも一度は経験があるであろう「みんな持ってるから!」
「みんなって誰?」
というやりとり。大抵の子はそれでも粘るか、ケチ!と思って終わるかだと思うのだが、私はどちらでもなく、ただ心に大ダメージを受けて、みんなと同じ=流行り物=ダメなものと変な方程式を作り上げ、あらゆる“今”を否定するひねくれ少女になってしまった。
文房具もキャラクターも服も、色んな“今”を否定し罵倒し拒絶してきた悲しき10代。
大人になるにつれてかなり丸くなったけど、なんとなく“今“が良くないものという感覚は抜けきらず、ちょっと良いなと思うものがあってもすぐには全肯定できないという厄介な性格に悩まされている。
そんな自分だからこそ、現在売られている本のタイトルに心惹かれる私は「ちゃんと今を生きてる人だった」という新たな発見に驚いてしまった。
強度弱めのガラスのハートの私は、些細なことで落ち込み、たくさんの勿体無い生き方をしてきた。そんな過去を取り戻すことはできないけれど、だからこそ、これからの時間は自分の気持ちを大切に、できることはやってあげたいと思い始めている。
という考え自体が、“今”よく言われているものだったりするから、気づいていなかっただけで私もずっと今を生きてる人だったのかもしれない。