3月15日

2024年の3月15日もあと1時間ほどで終わる。

朝起きて、家事を済ませて、仕事に行く。今年に入ってからは毎日その繰り返しなわけだが、かつての私はそうではなかった。

 

11年前の3月15日、そして7年前の3月15日。

これは私の夢が叶った日。全く同じ日付なんて、運命は粋なことをしてくれるものだ。

目標としていた資格を取得した日。

ずっと憧れていたある事ができて、嬉しさのあまり泣き崩れた日。

 

あれから何年経とうと、あの時の喜びは永遠に忘れない。

 

朝起きて、家事を済ませて、仕事に行く。今年に入ってからは毎日その繰り返しなわけだが、いつか、またどこかの3月15日にこれまで以上の奇跡が起こることはあるのだろうか。

 

北国の春は遠く、未だ雪が降る日もある。それでも陽射しは暖かく、まろやかな物に変わってきている。次の季節までもう少し。

春。新しい夢を見つけるところから始めよう。

明日

月曜日が怖いという感覚を、専業主婦の間は忘れることができていた。

でも、もうそんな訳にはいかない。

感情コントロールができず、ジェットコースターのように気持ちが浮き沈みした先週。落ち込み過ぎて小さくなってたと思えばものすごく態度悪い日もあったし、マスク越しでもわかるくらいイライラが顔に出てたし、負のオーラを放ちまくっていたに違いない。(ごめんなさい近くの席のみなさん)

 

明日からの目標は、謙遜でいること。

教え方が自分に合わないとか、言ってること矛盾してるとか、腹立つことはいっぱいある。だけど、たとえそうだとしても、教えていただけること、に対する感謝は持たないといけないなと反省した。

 

過度の落ち込みも、怒りも、他責も、全て高慢から生まれてる。

きっと明日も嫌なことはある。ムカつく、悔しい、恥ずかしい、悲しい、色んな気持ちになると思う。

でも、どんな時も、ありがとうの気持ちは手放してしまわないように気をつけたい。

 

がんこちゃん先生のめげない、しょげない、泣いちゃだめも大事なんだけど、ひとまず明日は「ありがとう」を、それだけを意識して頑張りましょう、私。

 

失敗

失敗は悪いことじゃない、とか。新人さんの特権だからどんどん失敗して!とか。

そう言ってもらえる方が責められるよりはずっとずっと気が楽なのだけれど、必ずしもそうではないのではないか、と最近思っている。

 

数年ぶりに社会復帰をした。パートさんとはいえ、週5回の出勤はなかなか大変で、家事もブログもほとんど手つかずになっている。早く仕事を覚えて余裕を持ちたい今日この頃だ。

そんな私の気持ちをあざ笑うかのような、厚さ数センチの業務マニュアル。一切の資料を社外へ持ち出すことが禁じられているため、自宅で手書きのメモを見直すこともできない。

要するに、その場で叩き込まざるを得ない状況なのだ。

パソコン操作から電話対応から、色んなことを習い必死に記憶して実践しているものの、ちっとも上達がみられない。教えてくれる方に申し訳なくなるほどの理解力と記憶力の悪さ。

研修中だから仕方ないよ、という周囲の言葉ももはや素直に受け取れず、本当は嫌味なんじゃないかと不安になってしまうほどに心を病んでしまった。

どうして、どうして私はこんなに萎縮してしまうのか。

 

独身時代は2つの場所で仕事をしていたが、いずれも退職のメイン理由は人間関係だった。もともと人と接するのが苦手なのに加え、ひとたび「この人とは合わない」と思うとすっかり萎縮するか、はたまた大衝突してしまう。社会人失格だ、と思いつつ感情コントロールが出来ない困った奴だった。

同じ失敗はすまいと意気込み、良好な関係を築くべく頑張っていたのに、結局今回も一人で殻に篭ろうとし始めてしまっている。

 

要因は、きっと、子どものときのある経験。

身長が高かったため、背の順で並んだ時にはいつも一番後ろだった。

小学生の時にはこの背の順で何かをすることがよくあり、体育の授業で特にその機会が多かった。

小学1年生の冬、初めてのスキー授業。私にとって人生初のスキー板で雪道を歩くという経験だった。準備をして、スキー板で校庭を一周。もちろん並びは背の順なので、私は列の最後尾。その後には、先頭の、クラスで最も小柄な男の子たちが控えていた。

特別運動が苦手な私には、スキー板は異物そのものでしかなかった。自由が効かず、足だけがロボットになってしまったような感覚。それでも必死にみんなの後を追い、なんとか進んでいった先でとんでもない壁が出現する。

校庭にある小さな小さな山。そこをカニさん歩きで登り、そのままゆっくりと下っていくのだ。

この時点で前方との差はかなり開いており、私のすぐ後ろにはすでに2周目に突入した小柄な子達が控えていた。

「思うように足が動かせない、登るの怖い、もう疲れた」

色んな感情を抱えつつ必死に登ろうとするもののちっとも前に進まない。だが続々と迫ってくる2周目のクラスメイトたち。

一歩ずつ、一歩ずつ、ゆっくりながらも登っていく途中、バランスを崩して、私は転んでしまった。

途端に後ろの数人が私の転倒に巻き込まれて同じく転んだり、ギリギリ体勢を保っている状態に。

「ごめんね」

謝りながら立ち上がろうとするも、それができない。ストックを握りしめ、色々動いてみるけれどどうやったら起き上がれるのかが全くわからない。

そんな私の様子を見て先生が声をかけてくれ、その指示に従ってなんとか持ち直したものの、少し進んだ所でまた転倒。そしてまた同じように巻き込まれる後ろの数人。

「ごめんね」

もう一度謝ったとき、彼らの1人は氷のように冷たい視線でこちらを見ていた。

 

体格差1.5倍くらいの女が上からぶつかってきたのだから、それはもう迷惑だったろうと思う。本当にごめん、と今でも思っている。

ただあの時の、ものすごく嫌な顔をして向けられたあの視線が、私にはあまりにも悲しすぎて、人前で失敗することをより恥ずかしく、恐ろしいことにしてしまっているような気がするのだ。

 

研修が始まって約2週間。

出来ないのは当たり前、と言ってくれるし、すぐ質問して、とも言ってくれる。決して悪い環境ではない。

それでも、狭いオフィスとはいえ社員全員がいるフロアで何度も練習しては失敗し、ダメ出しを受け、を繰り返していると、ついつい周りの目が気になってきてしまう。

自分が考えてしまうことは、全て被害妄想だと言い聞かせつつ、それでも人前で何度も何度も失敗して、何度も何度もやり直して、それを毎日繰り返すのは、私にはなかなかしんどいことだ。(そんなの気にしない、へっちゃらだよ、という人もきっといるのだろうけれど)

 

冒頭のような言葉は、上手くいかず苦労している人にとって励ましや、安心を与える言葉かもしれない。

でもその言葉をどんな性格や気質の人に言うのか、またどこで、どんな環境でそれを伝えるのかによって、意味合いも、言葉のもつ力も大きく変わってくるような気がする。

 

「今のうちにたくさん失敗してほしい」

それが優しさだとわかっていても、人前で、しかも大勢の前で失敗するのはいくら練習とはいえ、いい気はしない。ましてや人前での失敗が半分トラウマ化しつつある身にとっては、過酷な条件だ。

 

言葉って難しい。仕事って大変だ、と毎日思う。

でも、せっかくここまで頑張ってきたのだから、いつか「あんなに苦労してたのに嘘みたいに成長したね!」と驚かれるくらいに進化してやるんだ、という野望も生まれつつある。

 

2024年の私は、ひと味もふた味も違うのだ。

トラウマなんぞに負けてたまるか。

冬至

かぼちゃぜんざいを作っている。

本当は昨日の冬至で食べるはずだったが、色々あって1日遅れてしまった。

私としたことがなんという失敗...。

 

私にとって冬至は、とても楽しみなスペシャルイベントだ。なぜなら、「年に1度のおしるこを食べないといけない日」だからである。

 

「食べないといけないわけじゃないでしょ笑」

と言われることもある。たしかにそうだ。冬至の過ごし方は他にもある。

だが、小豆を愛してやまない(中でもおしるこ、ぜんざいが1番好き)な私にとって、年に1度、おしるこを食べることが文化として推奨されているこの日はまさに最高の1日なのだ。

学校にいる時も、仕事をしている時も、いつの時代も

「帰ったらおしるこ!今日はおしるこ!」

とワクワクしながら過ごしていた。

自分で作るようになった今は、あまりのおいしさに味見が止まらず、危うく食べる分が無くなりそうになる。

そのくらい、そのくらい、大好きなおしるこ。

 

小学生のときから、毎年冬至の度に思っていることがある。

「おしるこを発明した人にお礼を言いたい」

冬至の度にというより、おしるこを食べる度にと言う方が正しいか。とにかく、あったかくて、甘くて、こんなに美味しいものをこの世に生み出してくれた素晴らしい人に、ぜひ感謝を伝えたいと、思わずにはいられないのだ。

 

今年もやはり同じことを思いながら、大好きなかぼちゃ白玉団子入りのおしるこをいただこうと思う。

3つの約束

ざわざわ森のがんこちゃん

日本人の多くが知っている人形劇番組。主人公は恐竜の女の子、がんこちゃん。体はピンク色で、頭には黄色いリボン、おめめはまんまるでつぶらな瞳。名前こそインパクトあるものの、見た目はとても可愛らしいキャラクター。

このがんこちゃんのテーマ曲には、とても有名なフレーズがある。

「めげない、しょげない、泣いちゃだめ」

 

今まで何とも思わなかった歌詞から衝撃を受けるという経験を、私は今日初めてした。

この3つこそ、私に必要なこと。

今夜はちょっと嫌なことがあり、私はまさにめげて、しょげて、泣いていた。

気づかれないようにしてたつもりだったのに、結局周りの人から優しい言葉をかけてもらって余計に涙、涙、また涙。

 

いい歳して、いつまでこうなんだと自分を責め始めた瞬間に浮かんできたのが、この歌詞だった。

めげない、しょげない、泣いちゃだめ。

 

すごい、と思った。

彼女は私が悔やんでいること全部をしないように努力している。私に必要なことをこんなに分かりやすく伝えてくれている。

素晴らしい。素晴らしいよ、がんこちゃん。

 

いきなり全てを変えることはできないと思う。

それでも、この言葉を心に刻みたい、まずはそこから始めようと思った。

めげない、しょげない、泣いちゃだめ。

来年の目標、決まったな。

親友

歳の近い妹がいる。家族同士なので"友達"と呼ぶのはちょっと違うかもしれないが、私は彼女を一番の友人と思っている。

ハッキリ言って趣味は合わない。私たちの感想はいつだって真逆。例えば

リカちゃん人形→「かーわいいっ!この顔になりたい」「リカちゃん無理。この顔きらい」

考察系のアニメや小説→「そういうことね!最高すぎる!!」「理解できないしする気もない」

色→「ピンクしか勝たん」「可愛いとか無理。黒一択」

来年の劇場版コナン→「このメンツか。まあ観には行くけど」「ねえ次回作推しの集いなんだけど!」

といった具合だ。カラオケとかアートとか、共通して好きなものもあるが、それさえも好みは対照的。そんな私たちがどうしてこんなに仲良し姉妹でいられるのか、自分でもときどき不思議に思う。

 

私は人と話すのが苦手だ。世間話ができないし、他人に興味が無さすぎる。だから友人との会話もよく止まる。次の話題がない。本当に何も出てこないのだ。

だが、妹とはそんなことはない。たまに電話をするとトイレ休憩を挟んでまで喋り続ける。ちなみにこれまでの最高記録は4時間だ。妹と電話をする日は、外出予定も夕食の献立も変更しないといけないからなかなか大変。

それでも、この時間は楽しい。とにかく好みが合わないため、お互い話したいことを一方的に言ってるだけの時間もあるが(つまり相手の話を真面目に聞いてない)、そんなフリーダムなことができるのも家族だからこそ。

私は漫画やアニメにあるような、なんでも話せる、ふざけられる、結構辛辣なことも言ったり言い返したりできる、そういう友人関係に憧れていた。お互いちょっと雑な対応してるけどそれは信頼してるからこそ。お互いが最強の相棒、みたいな関係性。だがこれがなかなか難しい。私の場合は冗談も言えないし、無意識ながら本気できついことを言ってしまうときもあるので、慎重に丁寧に人と接していく必要がある。だから私にとっての「友達」という存在は、きっと世間一般でいうそれとはちょっと違う存在なのだと思う。なんというか、大好きだけどものすごーく気を使うというか(それが普通なのか?)自分にとっては少し特殊な人間関係というか。なんだか上手く言えないけれど。

その点、妹とはそういう関係を築けていると思う。これ見て!と一方的に好きな画像や動画をを送りつけあったり(お互い大した返事はなし)、今日この映画入るからよろしく!となぜか金ローの番宣が送られてきたりもする。

憧れは、ちょっと違う形で叶えられているのだ。

 

伯父の葬儀があった関係で、遠方にいた妹も帰省していた。妹がいる間は私も毎日実家に行き時間無制限のおしゃべりしていたがそれも今日で終わり。夕方からはまた日常が戻ってくる。

ちょっと(いや、かなり)寂しい気持ちはあるが、明日にはきっとまたお互い何かしらを送りつけ合っていることだろう。

残り時間わずか。さっさと支度して、出かけなくては。

革命の月

人生が変わるような出来事なんて、そうそう多くは起こらない。ましてや、それが毎回同じ時期に発生する確率はきっと高くはないだろう。

そんなドラマチックな展開が起こる季節が私にはある。11月中旬。今の時期だ。

 

最初の大きな出来事は大学の推薦入試。さまざまな条件から第一志望校に受からなければ進学そのものが難しい、という状況だったので、当時は自分の全てを懸けて試験に挑んだ。のちに大学デビューを果たすことになる私にとって、この入試はまさに人生を変えるチャンスを掴んだ出来事だった。

 

二つ目、三つ目は繋がっているのだが、やはり11月に大切な人と出会ったこと、そしてその人と家族になる約束をしたことだ。出会ってちょうど1年になる日、大きなバラの花束と共に素敵な言葉を贈ってもらい、今に至っている。私をいい方向に変えてくれた最初の人は大学の友人たちだが、そこからさらに良い状態に変えてくれたのが彼だ。結婚後は生活面、お金の使い方、人付き合い、ありとあらゆる面でますます良い影響を受けている。本当に感謝しかない存在だ。

 

そして最後は英語について。ずいぶん前の記事でも書いたが、私には<英語できないコンプレックス>がある。それが一層強まったのも実はこの時期。

「都会では英語ができないとバイトもできないのか…!」

11月が来るたびにこの時の気持ちを思い出し、自分に喝を入れている。

カルチャーショック - いちごとミルク

 

こうした大きな出来事が決まって11月に、しかも毎回16日〜20日頃に起こるのだ。偶然と言ってしまえばそれまでなのだが、なんだかそれ以上の何かがあるような気がしてならない。

「これが無ければ今の自分は絶対にいなかった」と思うほどの出会いや経験。その一つ一つを振り返るたび、あの時のように頑張りたい、と前向きな気持ちが湧いてくる。

次に何かが起こるのは来年か、5年後か、10年後か。それとももうそんな大きな出来事は訪れないのか。先のことはわからないが、きっとまたこの時期が来るたびに、私は少しドキドキしながら毎日を過ごすのだと思う。