失敗は悪いことじゃない、とか。新人さんの特権だからどんどん失敗して!とか。
そう言ってもらえる方が責められるよりはずっとずっと気が楽なのだけれど、必ずしもそうではないのではないか、と最近思っている。
数年ぶりに社会復帰をした。パートさんとはいえ、週5回の出勤はなかなか大変で、家事もブログもほとんど手つかずになっている。早く仕事を覚えて余裕を持ちたい今日この頃だ。
そんな私の気持ちをあざ笑うかのような、厚さ数センチの業務マニュアル。一切の資料を社外へ持ち出すことが禁じられているため、自宅で手書きのメモを見直すこともできない。
要するに、その場で叩き込まざるを得ない状況なのだ。
パソコン操作から電話対応から、色んなことを習い必死に記憶して実践しているものの、ちっとも上達がみられない。教えてくれる方に申し訳なくなるほどの理解力と記憶力の悪さ。
研修中だから仕方ないよ、という周囲の言葉ももはや素直に受け取れず、本当は嫌味なんじゃないかと不安になってしまうほどに心を病んでしまった。
どうして、どうして私はこんなに萎縮してしまうのか。
独身時代は2つの場所で仕事をしていたが、いずれも退職のメイン理由は人間関係だった。もともと人と接するのが苦手なのに加え、ひとたび「この人とは合わない」と思うとすっかり萎縮するか、はたまた大衝突してしまう。社会人失格だ、と思いつつ感情コントロールが出来ない困った奴だった。
同じ失敗はすまいと意気込み、良好な関係を築くべく頑張っていたのに、結局今回も一人で殻に篭ろうとし始めてしまっている。
要因は、きっと、子どものときのある経験。
身長が高かったため、背の順で並んだ時にはいつも一番後ろだった。
小学生の時にはこの背の順で何かをすることがよくあり、体育の授業で特にその機会が多かった。
小学1年生の冬、初めてのスキー授業。私にとって人生初のスキー板で雪道を歩くという経験だった。準備をして、スキー板で校庭を一周。もちろん並びは背の順なので、私は列の最後尾。その後には、先頭の、クラスで最も小柄な男の子たちが控えていた。
特別運動が苦手な私には、スキー板は異物そのものでしかなかった。自由が効かず、足だけがロボットになってしまったような感覚。それでも必死にみんなの後を追い、なんとか進んでいった先でとんでもない壁が出現する。
校庭にある小さな小さな山。そこをカニさん歩きで登り、そのままゆっくりと下っていくのだ。
この時点で前方との差はかなり開いており、私のすぐ後ろにはすでに2周目に突入した小柄な子達が控えていた。
「思うように足が動かせない、登るの怖い、もう疲れた」
色んな感情を抱えつつ必死に登ろうとするもののちっとも前に進まない。だが続々と迫ってくる2周目のクラスメイトたち。
一歩ずつ、一歩ずつ、ゆっくりながらも登っていく途中、バランスを崩して、私は転んでしまった。
途端に後ろの数人が私の転倒に巻き込まれて同じく転んだり、ギリギリ体勢を保っている状態に。
「ごめんね」
謝りながら立ち上がろうとするも、それができない。ストックを握りしめ、色々動いてみるけれどどうやったら起き上がれるのかが全くわからない。
そんな私の様子を見て先生が声をかけてくれ、その指示に従ってなんとか持ち直したものの、少し進んだ所でまた転倒。そしてまた同じように巻き込まれる後ろの数人。
「ごめんね」
もう一度謝ったとき、彼らの1人は氷のように冷たい視線でこちらを見ていた。
体格差1.5倍くらいの女が上からぶつかってきたのだから、それはもう迷惑だったろうと思う。本当にごめん、と今でも思っている。
ただあの時の、ものすごく嫌な顔をして向けられたあの視線が、私にはあまりにも悲しすぎて、人前で失敗することをより恥ずかしく、恐ろしいことにしてしまっているような気がするのだ。
研修が始まって約2週間。
出来ないのは当たり前、と言ってくれるし、すぐ質問して、とも言ってくれる。決して悪い環境ではない。
それでも、狭いオフィスとはいえ社員全員がいるフロアで何度も練習しては失敗し、ダメ出しを受け、を繰り返していると、ついつい周りの目が気になってきてしまう。
自分が考えてしまうことは、全て被害妄想だと言い聞かせつつ、それでも人前で何度も何度も失敗して、何度も何度もやり直して、それを毎日繰り返すのは、私にはなかなかしんどいことだ。(そんなの気にしない、へっちゃらだよ、という人もきっといるのだろうけれど)
冒頭のような言葉は、上手くいかず苦労している人にとって励ましや、安心を与える言葉かもしれない。
でもその言葉をどんな性格や気質の人に言うのか、またどこで、どんな環境でそれを伝えるのかによって、意味合いも、言葉のもつ力も大きく変わってくるような気がする。
「今のうちにたくさん失敗してほしい」
それが優しさだとわかっていても、人前で、しかも大勢の前で失敗するのはいくら練習とはいえ、いい気はしない。ましてや人前での失敗が半分トラウマ化しつつある身にとっては、過酷な条件だ。
言葉って難しい。仕事って大変だ、と毎日思う。
でも、せっかくここまで頑張ってきたのだから、いつか「あんなに苦労してたのに嘘みたいに成長したね!」と驚かれるくらいに進化してやるんだ、という野望も生まれつつある。
2024年の私は、ひと味もふた味も違うのだ。
トラウマなんぞに負けてたまるか。