風邪をひいたかもしれない。
朝からくしゃみ連発してるし、体が少しざわざわする。
この風邪の原因は、マイナス気温でも、アイスバーンの道路でも、警報級の積雪でもない。
わたしが10代のときに言われた悪口である。
あの頃、世の中にレギンスというものはなく、あるのはタイツ、スパッツ、ももひきだった。
そしてそれらは全て「ダサい」ものだった。
しかし私の親はダサい<防寒の人だったので、15歳の私にもジャージの中にタイツまたはスパッツを履くよう指示した。(私の地元では中学生はみんな指定ジャージで登下校する)
もちろん、私は嫌がった。
だって恥ずかしかったから。
ただそれは心の中での話。親にそんなこと言えない気弱な子だった私は、大人しくジャージの下にタイツを潜ませて過ごしていた。
それでも体育の日だけは、NOタイツにしていた。いついかなる場面でそれが見えるかわからないからだ。万が一のことを考えて親に内緒でNOタイツデーをしていたが、これがうまくいかず、ばれる度になんで履かないのか、履かなきゃだめでしょと怒られた。
そのうち親に色々言われるのも面倒になり、体育の日はスパッツを履くことにした。そして休み時間にトイレでスパッツの裾を極力引き上げるという仕込みをした。これなら親に文句も言われないし、体育のときも安心していられる。我ながらいい考えだと思った。
しかし、このタイツ・スパッツ生活に慣れたある日のこと、私はこの仕込みを忘れてしまったのだ。
体育の授業が始まり、準備運動でしゃがんで膝を伸ばしたその瞬間、私の足首だけが真っ黒い布で覆われていた。
「やってしまった....!」
と思うのと同時に
「あいつ、ももひき履いてる!」
という声が響いた。日頃から私に嫌がらせをしてきていた苦手なあの子の声が。
反射的にスパッツを引き上げたものの、もう手遅れだった。
タイツもスパッツもダサいことに変わりはないが、ワースト1はももひきなわけで。彼女の言葉は私を攻撃するのに十分すぎるものだった。
自分の意思じゃないもん!ももひきじゃないもん!お母さんのせいだもん!!
心の中で必死に叫んだところで、誰にもその言い訳は届くわけがなく、以来私はももひきを履いてる中学生と認定されてしまった。
恥ずかしい。
そして30代の今。すっかり寒さに弱くなった私は正直ズボンの下にタイツを履きたい衝動に駆られていた。隙間風が辛い。せめてハイソックスを履くべきか。
それでも過去の出来事がある以上、どうしてもそこまでの防寒対策を避けたい気持ちがあった。せっかくNOタイツでも怒られなくなったんだから、もう絶対にダサいことはしたくない。(親は今でもタイツ履きなよと思ってるだろうけど)どんなに寒くても、私はNOタイツを貫いてみせる。
その結果、ワイドパンツの隙間風に耐えられなかった私は結局風邪を引いてしまった。
10代の体にタイツもスパッツも不要だったことは事実だと思う。
親は体のことを気にして愛情で言ってくれていたのだろうけど、それでも寒さの感じ方は年齢によって違うわけで、親と子が全く同じ形の防寒をする必要はなかったと思っている。ましてや思春期の子どもにとって「ダサい」は1番のレッテルである。ばかにしてきた側はなんにも覚えてないかもしれないけれど、あの時私が受けた傷は深く、実際現在の生活にまで影響を及ぼしているんだから恐ろしいことだ。
その後、各種あったかインナーが登場し、レギンスが市民権を得て、みんなが当たり前に中の防寒をするようになった昨今は、いい時代だと思う。あんなにダサいと言われた黒タイツも高校生になったら定番化していたし(中学で制服に黒タイツを履いているとやっぱり周りから叩かれた)、今は肌色の極厚タイツまであるらしい。きちんと防寒しながらおしゃれを楽しめる。素直に素敵なことだなと思う。
なにより、老若男女みんながそれをしているという事実。きっと今の10代はなんの抵抗もなくあったかインナーを使っていることだろう。もちろん、NOタイツ派も残ってはいるだろうけど。
現代ならではの苦労も多いと思うけど、この点については今の10代が羨ましい。
いつもと違う物騒なタイトルになってしまった今回だが、何を言いたかったというと、思春期の悪口の影響はとてつもないということ。悪口なんて子供でも大人でも老人でもみんなすべきではないんだけど、なかでも思春期の経験はその後いくつになっても自分の思考や行動に影響を与えてくる。あの時「ももひきはいてる」と言われなければ、私はいま風邪を引かずに済んだかもしれないのだ。
そういう酷いことをする人がこの文章を読むことはきっと無いのだろうけど、もしこれを読んでくれているあなたが悪口を止められる立場にある時は、ぜひ止めてあげてほしい。
命を絶たせてしまうほどの傷でなくても、思春期の傷はその後の人生でずっと付きまとってくる。「ダサい」とか「うわっ」とか、言った側がすぐに忘れてしまうようなひと言こそ傷になるのだ。そんな苦しい思いを抱えた人を増やすのは、もう終わりにしてほしい。